福岡だい
2018.8.20(Mon)
幻聴で思った事その4
昨日、山田都美子さんを、罷免にして、中学校を登校拒否をしていいことにしました。また、山田都美子さんが、昼間遊んで、嫌なら夜間高校行かなくていいし、無断で欠席しても良く、皆勤賞を取ならければならない者でもない事にしました。今回の内容は、山田都美子さんが、一連の株を贈与税120%で村山早苗さんに所有権移転して手放す事で和解成立とさせていただきました。山田都美子さんは、贈与税に売り、その税を持ってして登録免許税を納付し登記義務者の山田都美子さんが、登記権利者の村山早苗に移行することにしました。契約率を含めると全額の60%に相当する額で、一年間で償却する権利とします。また、村山家が、山田家と結婚して、山田姓を奪ってしまってもよいものとしました。山田都美子さんと、山田誠さんは腐敗しており、これ以上継続することが不可能だと判断しました。勿論、行政書士や、大学卒業の何れの義務も山田都美子さんが負わない物とし、早苗さんに日進西高と、愛知学院大学に赴いていただく事に決定しましたので伝えます。山田都美子さんはもうこれ以上健康保険の売買をするだけの力量が無く、中止し、山田都美子さんには、次は、3月30日に譲りますから、グループを正式脱退していただきます。O型はA型として、次からは、新しい血に変りますから、侵害も無いものとします。本来であれば、国語の新古典一を教育をしなければならないことを、何時でもいい事にしました。山田都美子さんには残念ですが、もうこれ以上継続させません。高校課程を拒否したので、商業や、保険サービスに残れる資格が無いので、製造業に斡旋先が決まり、山田都美子さんは、また、電気サービスも出来なくなりました。よってこれから商行為のような事もないし、瀬戸窯業高等学校定時制であれば、3時間以上のご足労なので、毎日通わなくてもいいです。最新の情報によると、山田都美子さんは、昨日夕方の授業で辞表を日進中学に出してきたそうです。もうこの時点で、山田都美子さんの受け持ちの後任候補の擁立が確実に成りました。早苗さんは栄区の東側に住んでいるので徒歩では日進西高は遠いですが、自動車や、自転車の席が満席の学校なので、徒歩でお願いします。勿論、村山家が愛知学院に進んでも良いものとします。後任の教科は政治経済歴史など社会科教養に係る都美子さんから早苗さんに譲られる事になりました。早苗さんが、社会が得意であるかは関係が無く、高卒で行政書士から通ると、学習負担が大きく、合格率の狭さから、浪人期間が長くなるリスクを避け、無理に高校から行政書士通信制、社労士と進もうとせずに、お金は使っても、大学の方が、民法、憲法、商法、行政法をするより、負担が軽く、労使協定、労災保険の保険規定(金額のアセスメント)、労働基準法、安全衛生法、社会保険法、健康保険法、国民年金法などを理解するのに1700時間掛かりますから、行政書士の十分な学習するには、基本教本が全てそろえた上で1000時間目を通す事で、基準単位を取る事が出来ます。しかし1000時間で合格レベルでも、上位者から合格するので、もっと勉強を積んだ者が先に合格して行き並ばされたように浪人学生を送るのが行政書士の過程に目が見えており、1000時間以ってしても、直ぐに合格と言うわけには行きません。その点で大学政治経済、日本史、世界史のセンターを使えば、行政書士よりはるかに難関が楽です。社労士にも法律が多いのですから、行政書士を受けないメリットはあります。今の時点で山田都美子さんは、山田生命代表を正式に辞任したあと、日進中学の辞任をして、”山田誠君とずっと寄り添っていたい”とそういって今日から中学に来ていない見込みです。既に蛍によると14歳となり中学2年になります。中学校でいじめがあったことが原因で、日進中学を中退してきたのを、家庭で暮らして生きたい、仕事も学校も要らないそういっているようにも聞こえます。特に遊んでいく為に学校をサボるとしたことは撤回させていただきますが、山田都美子さんは、遊べなくても、金なんか無くても、家族と暮らす事に幸せを感じそれでよいと考えており、2日前代表を辞任した結果、300人の支持を失ったのを、300人が最近は大の幻聴が聞こえるといっていらっしゃる人になったみたいで、それらの人は、最終的に自分が責任を受け持つ事になったみたいです。山田都美子さんが、中学も出来ないで仕事もしない、遊びもしない学校へも行かない、代表も降りるそれで山田誠君が良いと思うならそれでいいのですが、親権者の方が、認めているなら、責任に問わない事にしますから、事実上の後任の指名をさせていただきます。自分は、生命保険の代表にはつけないクラブ員なので、クラブ地位協定上存在する年金保険でも、自分は代表ではありません。しかし、これから新しい会社を立ち上げる発起することで不動産の代表に就くのは創業者やまぐちはじめの意志です。これは今の福岡家がナナナのポーランドCのITファミリーであり、創業者は山口はじめが福岡家を山口県下関で大代表に就いた事から始まって福岡家(俗に言う日本家)を創設したのが始まりで、山口榮不動産から天皇との歴史は始まっており、2世紀には既に天皇家は存在し、九州地方は鎌倉栄華時代まで大都会の一つでした。その港町が山口県下関でした。それが、関榮不動産の名称の理由であり、京都に寛永2年に住友生命と、住友繊維という2つの法人を設立した織田寛(おだひろし)に由来し東京榮不動産と付けられました。

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