福岡だい
2019.3.8(Fri)
幻聴で思ったことその4
福岡大プロフィールその2
小学校時代は特に大人しく繊細で有ったが、林君と、前田君に虐待を受ける。また、南小学校で岩田匡と知り合った。それ以前から、私権の享有にて、初めて民事裁判を起こされたのが3歳の時だったが、裁判は、10年続いて星野恵巳と和解した。三歳ごろ起こされた訴訟は、幻聴が起こっていて、憑依に取り付かれると死刑になるといわれた刑事罰を示唆する違法な民事裁判を行なったが、刑事裁判は15歳以下を罰する事が出来ないので、刑事裁判は、少年法なども裁判できない。よって、星野えみがあえて民事裁判としておいて、死刑の刑事罰を与えようと争ったことから最初の裁判となった。20才まで、ずっと被告を続け、その後も被告に置かれる事が多かった。在る日、裁判長に国選弁護人を拝命し、テレビリンク裁判が出来るようになった。それまでは、消防団を10年間弁護してきた。主に20才からは直ぐに国に働きに出て、消防団を10年間以上精勤した。主に、刑事裁判を主体とする弁護をして、各位に、無罪を勝ち取らせている。特に、消防団と言った所が違法発言が多かったので、そのことは佐竹義廣君も認めている。日進中学に上がると、小学校5年生からベーシックマガジンのベーシックアルゴリズムを購読していたが、中学校から、ファンクションの使い方を1年で習う。ファンクションの使い方から教わり、1年3学期までには大体の関数と、変数をマスターできた。また、自分ものはステートメント(Cでは青い字で表示される文法の事)を中心にプログラムを構成し、小学校から、マシン語なども3年の時、書店から持ってきたもで習っている。また、Cは本当は万引きであったが、祖父が費用を負担した。また、自分は、N88Basicを1年間を通して拾得し、二年期の朝練には大体理解できるようになるが、全部の黒板が理解できたのではなかったが、88のものと98のものが学習できた。3年になるとゲームばかりをするようになり、村瀬光彦君が6時までコンピューターを占拠し、信長の野望覇王伝ばかりするので、自分は、食事も済ませ、8時以降からコンピューターをする。また、夜は、2時、3時に寝る事が普通にあり、朝は7時なので、4時間しか寝ないなどザラにあった。3年期は、授業に爆睡するなど、昼寝をして学習に打ち込まない事が多くなってきた。また、幾ら書いても覚えない黒板を写すより寝ていたほうが良かった。そして、名古屋第一の説明会を2回欠席し、説明を受けず瀬戸窯業高等学校定時性過程が決まる。瀬戸窯業では主に、数学Tと、英語Tを中心とした教科で、中学校と難易度は同じであったが、年齢的の成熟した訓練度から中学校在学時よりは、高校在学時の中学教科のほうが理解できた。そして、40歳になり、数学A、B、Uを重点的に習い、また、小学算数を教授する教育コンテツを作り始めたのが2011年のの頃だった。また、今、日本史を重点的に習いこれから化学や、世界史、英語などを加え、弁護士試験に備えていく一般教養を身につけるようにするよう、公務員資格を重視する。また、実務でリストアップされた、弁護人と、裁判官は、年齢の規定が在るだけで、特に憲法上に存在するだけであり、センターが無い。裁判事務官に成るには、記述式試験を行政法、民法が答えられなければならない。自分は学科資格から、別に裁判官のコースに進んだのではなく、働きつめて、勝ち取った職である。また、30歳になると、プログラマーに転職を希望するが失敗する。自分は、既に情報プログラミング技術者以上であるから入学を丁重にお断りするとのことで、専門学校も行けない。自分が、学歴も職歴も確保できず、家庭で行っている実務や、学校で行なっている実務を、社員経験に算入できなかった事が原因で採用には至らなかった。しかし、40歳から、システムアーキテクトや、ITストラジストに興味を持つ、しかし、三日坊主で長く続かず、何回か読んではそれで済ませている。仮に、年齢、学歴、性別の制限の無いシステムアーキテクトなどの資格が取れれば幾らかは有利な就職条件になる事は言うまでも無いが、今は、情報関係の職業に進むことを望んでおらず、建築インテリアに行くと決めたからには、自らが行政書士となり、インテリアと、建築を開業しようと考えている。市から許認可が降りれば、インテリアコーディネーターや、インテリアプランナーになれる。それも自営業なら実務経験に算入するので、開業後は、就職採用に有利になる事は言うまでもない。定年退職後も、自営業なので、80歳までは働き続ける気でいる。勿論国家資格も長期のプランで立てている。

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